お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2008年8月30日[土]


研究室で作業をと思い家を出たものの、足はさいたまへ向かっていた。
やらなくてはならないことが山積みなのに、やはりどうしても観なくてはという気持ちを抑えきれずに北浦和にある埼玉県立近代美術館へ出かける。

丸木スマ氏の展覧会だ。丸木スマは、《原爆の図》で知られる丸木位里の母である。
位里の妻で画家の俊子にすすめられ、70歳で絵を描き始め、亡くなる81歳の間に700点以上もの絵を描いた。
迷うとぼくは手当をしてもらいにスマばあちゃんを訪ねる。絵を描くってどういうことなんだろうというその最も基本的な根っこの部分がわからなくなってしまった病んだぼくの心にスマばあちゃんは赤チンを塗るようにやさし〜くやさし〜くその気持ちを手ほどきしてくれる。

国立新美術館で催されていた、エミリー・ウングワレーの絵に触れるよりも何十倍も、現代の日本人が忘れかけている何かを思い出させてくれる。このパワーある絵を前にすると、ごめんなさい!っていう気持ちになる。自分はどこまでばあちゃんのように無垢に絵と向き合っているのかと自問自答を繰り返さざるを得なくなってしまう。
しかし決して禅問答のように難解な厳しさはない。だって眼の前にあるばあちゃんの絵がまるでばあちゃんの自画像のようににんまりとやさしく「だいじょうぶだからね」と微笑みながら抱擁し頭を撫でてくれるのだから。瞬間!じわーっと心は涙する。

丸木スマが亡くなってから52年が経った(ぼくは生まれてから51年目に突入)が、その絵には古さが感じられない。この展覧会は、表現における年齢というか歳を重ねることの大きな意味をも感じさせてくれるのです。そう、確かにボナールの絵も70代を迎えてから以降の絵が凄い。ぼくもついこの間51歳になりましたが、まだまだヒヨッ子だよなぁとばあちゃんの絵の前に跪く自分を感じたものです。
ばあちゃん俺ガンバルよ!と誓い、会場を後にしたのでした。

ふたつだけ苦言を呈する。
ひとつは、素敵な図録には展示されたすべての絵を掲載して欲しかった。「白い犬」という絵がサイコー!だったがこれが載っていなかったのでがっかり。それでも買ってしまったのだが…ううっ。
ふたつ目は、額装のことだ。ほとんどの絵の額がもうひとつだなぁと感じた。絵には古さを感じないのに額に古さが潜んでいて残念だった。展示されていた3分の1の作品が個人蔵のだったが、こういう人たちにもっとインテリアとして額装を楽しんで欲しいと思う。例えばパウル・クレーの展覧会に行くと特に個人蔵の作品の額装に面白いものが多い。

ついでに先ほど名前を挙げたエミリー・ウングワレー(1910頃-1996)に触れよう。
彼女はオーストラリア中央の砂漠地帯で、アボリジニの伝統的な生活を送りながら、儀礼のためのボディ・ペインティングや砂絵を描いていたが、1977年からバティック(ろうけつ染め)の制作をはじめ、88年からはカンヴァス画を描きはじめる。その後亡くなるまでのわずか8年の間に3千点とも4千点ともいわれる作品を残した。
展覧会開催のポスターを一瞥してこれは観なくていいとジャッジしたものの、会う人、会う人にエミリー・ウングワレー展がよかった!と言われ、おかしいなぁ、そんなはずはないとその真価を確かめに会場へ向かった。案の定、個人的には全く面白くないものであった。
では何故これほどまでに多くの人が絶賛をするのか?恐らく日本全体が見失ってしまっているスピリチュアルな精神が作品を通して垣間見られ、それにくすぐられるからではないかと感じた。そういった霊的なものが無くなっている訳ではなく、依然としてあるものの感じにくくなってしまっているのだが、エミリー・ウングワレーという人の作品を前にすると、どこかに眠っているその感覚を多少なりとも思い出し魂を揺さぶられるからではないのかと考えた。

ぼくは作品そのものよりも彼女の生き方や在り方自体の方が興味深かった。作品としては自分にとっては全体に表現が浅く、取り立てて参考にならない、やはり観なくてよかった展覧会のひとつであった。敢えて挙げれば、布に染色(バティック)という方法で制作された作品群は、彼女を超えるものが付加されていて見応えがあった。

→ http://www.momas.jp/


「めし」ⓒsuma maruki
「めし」ⓒsuma maruki



2008年8月28日[木]


ギンザ・グラフィック・ギャラリーへ急ぐ!
今日が最終日の「NOW UPDATING…THA/中村勇吾のインタラクティブデザイン」展を観に行く。
中村勇吾氏はインターフェイスデザイナーであり、プログラマーである。Webを中心としたインタラクションデザイン、インターフェイスデザインの分野で活躍されている。
東京大学工学部大学院修了というプロフィールが興味深い。たいていの工学部出身者はビジュアル面が弱いのだが中村氏はそうではない。
グラフィックデザインというフィールドにいるとメディアの日進月歩はめまぐるしく、ビジネスの面においても従来のグラフィックデザインに甘んじておれる訳が無くなっている。

その辺りの強化という意味においても、新しい表現に触れるという意味においても中村氏の動向は見逃せない。
インタラクティブアートとしても面白いが、それがネットという生きた動きのあるビジネスライクな場で展開されることがさらに面白さを出している。

→ http://tha.jp/



2008年8月25日[月]


本日より9月12日[金]まで、新橋に近いリクルートのギャラリー、G8で東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)展「GINZA・銀座・ギンザ」が開催されている。
TISの会員160名のイラストレーターたちがそれぞれの銀座を描いている。巷にあふれる印刷物等で見かけたことのあるイラストレーターの原画が観れる。
この日はオープニングパーティがあり顔を出した。

→ http://rcc.recruit.co.jp/
→ http://www.recruitco.jp/corporate/mobile/



2008年8月17日[日]


ルオーを観に出光美術館へ行く。
想像を膨らませ過ぎて若干拍子抜けではあったがいいものが観れた。やはり晩年のマチエールと色彩が美しい。特に魅せられた作品があって、それは「レナ」というタイトルの絵で不思議な色彩の魅力に溢れていた。
絵自体は小振りなのだが、その周囲の額縁の部分にも絵具が塗られ、その縁の色彩と合わせて作品と化しており、全体にはF10号くらいに見える、見応えのあるものだった。

その1点の図版が欲しくて図録をめくると、案の定、絵の部分しか掲載されていない。展覧会場で作品を観て良かったのに図録でイマイチということがよくあるが、これはもちろん絵そのものの魅力に問題がある訳では無い。つまり、実際の絵はたいてい額装が施されているので、実はその額装を含めた絵全体の観せ方に感じていることが往々にしてあるからだ。図録にはほとんどが絵の部分しか載っていないのだ。逆に言えば展覧会場では、絵の観せ方や額装の面白さに触れることができるということだ。
そう言う意味でも本物を観るということは重要である。



2008年8月16日[土]


上野へ。
東京国立博物館の平成館で催されている「対決 巨匠たちの日本美術」を観る。対決自体には興味なく、円空、乾山、宗達、光悦を単純に観たいと思い訪ねる。
円空も良かったが、今回特に心酔したのは、久しぶりにご対面した光悦の茶碗だ。
何度観てもいい。うっとりだ。
やわらかい土は、光悦の手捻りを経て形が与えられ、乾燥させられた後釉薬を掛けられ、火に焼べられることで硬い器に変容する。その過程で得る何とも言えないあの肌理の凄さ。土と釉薬、火とその温度の関係など、光悦が完成の予測を立てながらも予想を遥かに凌ぐ確かな存在の出現を余儀なくさせる光悦の力量に敬服する。

自分の肉体を離れた、距離を持った表現のスキルを巧妙に体得した光悦ならではの感性がほとばしっている。偶然を引き寄せるための必然のお膳立ての妙。自分で仕向けながら自分では手を下せない部分を表現の中に介在させることで自分を超えた技が生まれる。それは大自然あるいは宇宙のシステムに委ねるということを積極的に取り入れるということだ。そこに人間技でなく、神技の極意が生まれる。

さらに、図版等で観て想像したものよりも大振りのあの大きさに感動を覚える。そして、これ以外あり得ないという心くすぐられるフォルムに感服させられる。宗達もそうだが彼らのこのフォルムの趣の良さはどこに起因するのだろうか。その懐かしいまでの「日本の形」に触れると日本人としてのアイデンティティを否が応にも考えさせられる。

他に興味深かったのは、雪村と簫白に触れ、意識下の自分の一面を伺い知ることができたことだ。最初に対決自体に興味がないと書いたが、この対決を観て自分の好みがよくわかった。
これは成果であり、なかなか有意義な展覧会であった。



2008年8月15日[金]


今日は、滞っていたホームページの相談に渋谷まで来た。
参考にしようと何人かのサイトを見てみたが、仕事のできる人はやはりサイトも凝っている。まぁただ、凝っているが故に、得たい情報がLOADINGに時間がかかり、すぐに見れないなどの弊害もある。自分としてはシンプルに行きたいと思っている。

打ち合わせの後、暑気払いに訪ねた会社の近くの居酒屋へ繰り出す。

11月の個展のアイデアを聞いていただいたりしながら、久々にいい酒を酌み交わしました。
最後に寄ったバーは良かったなぁ。最近芋焼酎ばかり呑んでいたから久々にあのカルチャーは新鮮だった。