お猿の戯言 homosapiensaru's babble
2016年11月25日[金] 榎本了壱氏の個展「コーカイ記」の会場にて
榎本了壱氏の展覧会場に伺うと新作とともに氏のディレクションをしたこれまでのグラフィックデザインの仕事がずらりと並んでいて、その中に私が絵を描いた仕事が3点展示されていた。どれも懐かしく当時を思い起こしひとときの感慨を得た。
1980年から始まった日比野克彦を輩出したコンペティションである日本グラフィック展は名称をこそ変えたものの20年続いた人気の高いコンペティションだった。そのコンペティションを采配したのが榎本氏だ。
私もこのコンペティションの一等賞を獲ろうと躍起になっていた。
いや、「獲ろう」という感じではなく、「獲る!」という凄まじい意識を持って臨んでいた。獲れなかったら「死」あるのみというくらいの激しい念いで向かっていたものだ。
私は第4回のときに大賞をいただいた。1983年26歳のときだった。
当時は会社に勤めていて、作品を制作するということが極めて大変だった。応募の時期が近づくとなるべく定時に終わるよう会社の仕事を片づけて自宅に戻った。夕飯をかっこみ、即自室に籠り、絵筆を握った。B1サイズ3点を並行しながら必死に画面と闘い、気がつくと寝入り、朝を迎え、朝食もままならないまま会社に向かうという日々を過ごしていた。
時代はバブルに向かっていたからか、グランプリを獲ると仕事が舞い込むようになり、自分の仕事の環境は徐々によくなっていった。当時は日本グラフィック展世代のデザインのフィールド側にいる者たちがアート、アートと声だかに叫び、垣根を壊そうとしていたものだ。
あれから33年が経った。強く念っても一筋縄で行かぬことがあるということを理解したり、他を変えることよりも自分を変えることだと気がついたりと、いろいろなことを経験してきた。来年は60歳という大きな節目を迎える。肉体は正直衰えを感じつつあるものの、精神は面白いことにより生き生きとしてきている。これから先どんなことになっていくのか楽しみだ。いや、元い。どんなことになってという人任せ的なことではなく、どんな風にしていくかが肝心だ。
何れにしても、あのとき日本グラフィック展があったからこそ今の自分があるのは間違いない。いい経験をさせていただいた。榎本氏のお陰で根っこの部分を思い出すことができた。感謝。
2016年11月19日[土] 力をいただきました!
ANBD(アジア・ネットワーク・ビヨンド・デザイン)展(中国・台湾・韓国・日本の4カ国に同テーマで作品を公募し、入選以上の作品が4カ国で展示されます)が今年も東京工芸大学で始まりました。そのオープニング・レセプションが本日ありました。今回のANBDのテーマが「間」でしたので、「間」を体現しているだろうと考え、理事を務めるC.I.O.F.F. JAPAN(民俗芸能を保存していこうとする国際的団体です)にお願いし、銚子はね太鼓保存会の方々にご登場いただき会を盛り上げていただきました。感動しました。癒されました。元気になりました。
2016年11月04日[金] 子どもの絵画コンクール審査を終えて
子どもの絵のコンクールの審査を終えた。
15,000点も集まったので、期待に胸を膨らませ臨んだが、昨年よりも「これだ!」という手応えのある作品に出会うことはなかった。
テーマがむずかしいということはあるにしてもみんないい子を演じているような、心の底から絵が楽しい!っていう風に描いている子が少ないように感じた。
何かやらされている、させられている感が漂っている。
絵なんてもっと自由でいい。
審査中も休憩時間中も一通り終えてからも審査員たちはみな日本の未来を憂いていた。
子どもの教育が大事だ。実は中でも美術の科目はとても重要だ。
効率だけを追い求め続けること、これは危険極まりない。
人間は無駄が必要なのだ。アホぐらいでちょうどいい。