お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2009年1月31日[土] 福田研究室の会

ⓒShigeo Fukuda
ⓒShigeo Fukuda


今日は、最後の福田研究室の会が催された。

この会は、福田繁雄先生が東京藝術大学で教鞭を執った7年間の教え子たちが発足した集まり(正確には先生が研究室を持った大学院生が対象であったが、その当時関わった多数の先生やら学生もその会のメンバーだ)で今回が19回目、主役不在ながら最後の集まりとなった。

場所は、東京藝術大学の講義室で行われた。
何十年振りだろうか、久し振りに中央棟の第一講義室に入ったが狭くて驚いた。
授業を受けていた当時の記憶がまざまざと蘇ってくる。

日比野克彦が音頭を取り、若尾真一郎、佐藤晃一、秋山孝、佐藤卓、ひびのこづえ、澤田泰廣、松下計…等々、60人近くが集まっただろうか。先生を偲んで作品や写真をスライドショーし、それぞれが思い出をマイクに載せて語った。先生のお人柄か会場は湿っぽくならず、エピソードはどれも温かな笑いを引き起こし、大きな教えに満ち満ちた有意義なものだった。

その後、学食である「大浦食堂」に移動し、懐かしい顔ぶれと弔い酒を交わし、言葉を交わした。みんないいやつらである。顔だけしかわからない者、顔もわからない後輩もいるが、不思議な何かでつながっている気がするのは自分だけではないだろう。

最後に黙祷をし、解散となったが、まだその場を去り難い雰囲気が蔓延している。当然、もう一軒である。結局40名近い者が二次会へ繰り出した。話題は尽きず、閉店までその店にたむろした。

福田先生は不在でも、この集まりは続けようということになり、福田先生の命日である1月11日を捩って「111」の会を発足することとなった。そして名称を「福田研究の会」とした。

来年、また盛り上がりましょう!



2009年1月28日[水] 講習会

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


日記の更新がままならないのは、自分でアップできないということが原因のひとつでした。
そこでアップの仕方を教えてもらおうと、ホームページを管理していただいている事務所へ顔を出すことにした。

一通り教えていただいたのでもう一安心!(たぶん、恐らく、may be…)
これで今までよりは、頻繁にアップしていけると思います。
worksも更新せにゃアカンね。

今日のご指導のお陰で、何か人生が前向きになるくらいすっきりとしました。
理由も無くつっかえていたもやもやが解消して久し振りに晴れ晴れとした気分です。

講習を終えた後、またしてもスタッフと呑みに繰り出してしまいました。
渋谷の東急ハンズ近くの「魚や」で語りました。
このお二方もいい人たちなのです。こういうのが一番しあわせだよなぁ!




2009年1月23日[金] 初めの一歩だぞ!

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


昨日、一日かけて4年生の卒業研究の発表・採点があり、今日は希望者のみの講評会だった。その流れで、3年生に続いて4年生の呑み会が催された。

超超氷河期で就職もままならない者も多いのだが、こうして呑みの席に顔を出してくれるのは頼もしい。将来に不安を抱えながらもこの場は一生懸命楽しむんだという姿勢に逆に泣けてくる。

もうみんな巣立って行くのだが、ここから本当の意味での第一歩が始まるのだ。
4年間の思い出に浸っている場合じゃないぞ!
心してしっかりと前を向こうじゃないか!わかったか!

…でも、まぁ、いいよ、今夜はゆっくり呑もうや。



2009年1月21日[水] 前世


教え子で、今や人気のイラストレーターとなった遠藤拓人と編集の村田さんと吉祥寺の「金の猿」で呑む。
「金の猿」は、丸井の右脇の道を行き井の頭公園の入口の手前左側にある。
焼き鳥屋の「いせや」の向いである。

不思議と言えば不思議な縁でつながった三人と云うべきか、あるいは出会うべくして出会った三人と云うべきか?
いずれにしても前世のどこかで関係し合っていたんだろうなと思わせる顔ぶれである。

この呑んでいる場所である「金の猿」も不思議な縁でつながったお店だ。
ぼくはこの店のロゴ・マークやショップカードのデザインや個室に絵を入れさせていただいている。
遠藤がこの店で呑みたいと言い出したので個室を予約し、久し振りに顔を出した。
そこで本当に久し振りに自分の絵と対面した。
おもむろに遠藤が「この頃の先生の絵、好きですよ」と言う。
自分自身もこの頃の絵は格別何か自信といったものがみなぎっている気がした。
自分の描いた絵がこうしてお店に常設されているということの幸せを感じた。

とりとめも無い話をとりとめも無く話し合えるのもこうした顔ぶれだからだ。
久し振りに日本酒をしこたま呑んだ。

いい夜であった。

 → 「金の猿」


初代「金の猿」ショップカード
初代「金の猿」ショップカード


2009年1月20日[火] 久し振りの谷研3年生との呑み会です

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


3年生全体での後期授業の作品プレゼンテーションを終え、夕刻から久し振りに呑み会を催すこととなった。
みんな一生懸命になって発表を終え、解放されてか、いい顔をしている。
この時期の3年生は特に可愛いと毎年感じる。

もうこいつらも4月から4年生になるのだ。
ほとんどの者が3年の後半から右肩上がりで作品が良くなってくる。それが4年生になると就活が本格化し、社会をリアルに感じすぎて、みんな学校に来なくなってしまい、失速して行ってしまう。なんとか現状を持続、いや、さらに上昇をしてもらいたいものだ。

そのためにも呑み会に最後まで残っている人間には、なるべく作品についての私感を伝えようとするが、あまり深刻になってしまうのも酒の席だし野暮ではある。が、がんばっている者にはどうしても声を掛けたくなってしまうものだ。しかもできのいい者には強く言い過ぎてしまう傾向にある。傷つけないように、叱咤激励するのはなかなかむずかしいことであるが、可愛いこやつらをなんとかしたいので、お父さんはなるべく喝を入れて廻ることとしよう!




2009年1月18日[木] 寿命


親父の死に面しても感じなかったのに、福田さんの訃報に触れ、人は死ぬのだと理解した。
自分は90歳まで生きる…とどこかでそう信じているのだが、いつ死が訪れても不思議はない。明日死んでしまうかもしれない。
死ぬことには頓着は無いのだが、まだ何も成し遂げていないのでまだ死ねない…とこうして成し遂げるものが自分の中に埋もれていると未だに信じていることの方が、90歳まで生きるという妙な自信よりも滑稽であるかもしれぬ。怪しいものだ。
とにかく今強く思うことは、一刻一刻を真剣に生きねばということだ。
やるべきことをやる。やらなくてもいいことはやらない。この当たり前のこと、何十年もできていない。反省。

ⓒhiroki taniguchi<br>
ⓒhiroki taniguchi


2009年1月15日[木] 福田先生急逝!


「福田さんが亡くなったって!!」
教授総会の席で同僚の携帯電話にメールでその知らせが届いた。
11日、福田繁雄先生がクモ膜下出血にてお亡くなりになられた。昨年、JAGDAの席でお会いしたときはほんとうにお元気で、訃報を聞いたときは全く信じられなかった。

福田先生は僕が大学の3年生のときに非常勤講師として我々形成デザインの研究室で初めて東京芸術大学で教鞭を揮うこととなられた。
当時、週刊文春(表紙が和田誠さんのイラストレーションになったばかりで好きで毎号買ってましたねぇ)に福田先生のコラムが連載されていて(そのイラストレーションがかっこ良かったのだ)、友人とこのページを楽しみにしていたので、先生が来られると聞いて大興奮だった。しかし今当時を振り返ると、第一線のクリエーターに直接指導を賜るという喜びを感じる以前に緊張する方が先に立ってしまってうまく会話ができなかったように思える。先生が「質問は?」と言ってくださっても我々が口を開かないものだから、「世界の福田繁雄を前にしてもったいない!」といつも嘆いておられた。
先生に出された課題は、先生を前にして物怖じもせず先生の模倣を繰り返し講評に臨んでいた。リスペクトしていますという意味が込められた行動だったのだが、先生としてはやりにくかっただろうなぁと今の自分の立場を考えると冷や汗が出る。

昨年の11月にはリクルートの二箇所のギャラリー、G8とガーディアン・ガーデンで個展が開催された。その膨大な作品群には圧倒されたものだ!先に書いた週刊文春の挿画も展示されていて、学生時代を懐かしんでいたばかりでした。お会いすれば必ず気さくにお声をかけてくださるありがたき大先輩を失ったことは残念至極であります。

福田先生、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ひとつ不思議なのは、昨日14日に先生から年賀状の返事が届いたのだ。11日の午後10時半頃に亡くなられたのだから、その昼間にでも返事を書いていただいていたのだろうか。貴重な賀状が何か時空を超えて届けられたかのようで妙な気持ちに包まれている。



2009年1月7日[水] 急転直下!!

ⓒhiroki taniguchi
ⓒhiroki taniguchi


5日 急転直下、快方に向かい元気を取り戻す。
6日 大学で早々に会議と新年会があり顔を出すが、さすがに酒には手が出ない。
7日 完治というにはやや不安げな体調ながら、言い出しっぺとしては参加せざるを得ず、東京イラストレーターズ・ソサエティの事務局の新年会へ。沖縄料理の店で、珍しくカクテルばかり呑んでいたがどれも美味しかった。でもあんなものばかり呑んでいると太るな~。仕上げのソーキそばが温かったのと麺が軟らかかったのが残念!
僕の病気は、大抵お休み中に完治してしまうので誰も病気な自分に気がついてくれない。いいことなんだが、たまには、僕病気です。こんなに弱ってます…って主張してあらあら可哀想になんて心配もされてみたいものです。
な~んて冗談です。




2009年1月4日[日] 最悪!


調子が良くなれば食べ、具合が悪くなれば寝てを繰り返す三が日、3日の昼間はやや調子がよく夕飯にボリュームのあるものを食べたらこれがよくなかった!深夜に急に腹が痛くなり、ノロウイルスに掛かったような症状になる。今日は全身もだるく痛み、一日寝ていた。



2009年1月1日[木] あけましておめでとうございます

さくら野百貨店初売りビジュアル
さくら野百貨店初売りビジュアル


自分の身体がどんなに体調不良であろうとも年は確実に開けるから面白い。
0:00を待って、だるい身体を引きずって近所の熊野神社へ初詣に出掛ける。
小さな神社だが境内の神楽舞台では生のお囃子が演奏され獅子が舞う。
お詣りが済むとすぐ脇でお神酒をいただき、お餅とお汁粉が振る舞われる。毎年このお汁粉が楽しみだ。
おみくじをし、お札を2セット(仕事場用と研究室用)買い帰宅した。

一年の計は元旦にありとは云うが、さて今年はどんな年になるのやら。
絵画の方は、4月に水戸で個展が決まっているのでこれに向けてこつこつとやって行こうと思う。
三越百貨店の新年のビジュアルを手掛けた(今日から展開される)ので今年は幸先はいい。また、ヨックモックの夏のギフト缶と暮れにはハート缶も発売される…など、いくつか明るい話題はあるが業界の誰もが暗雲垂れ込めた状況を口々に語る。相当厳しい年となるだろうことは予想される。とにかく、世の中の不景気には逆らいたいものだが、まずはていねいにもの作りをして行こう。そして前向きに進もうと誓おう!