お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2014年4月30日[水] 自然が作ってくれる



自然農法を60年に渡って実践・提唱されてきた福岡正信氏のことば。
「人間が作ろうとするから駄目なんです。自然が作ってくれるのです。
如何に何もしないようにするのかが大事なんだ」…と。





2014年4月29日[火] 同感です!




大学で教えていて、日々感じていることをアーティストの宮島達男氏がまとめてくださっている。



アーテイストとして生きること 宮島達男
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 この国でアーティストがどう生きるべきかリアルに考える。はっきり言って、絵で
飯は喰えない。皆分かっているのに、その幻想の旗を降ろさない。なぜか。
 幻想の原因は美大というよりも、美大の先生方がその幻想を信じているからでしょ
う。そして、その夢を若い連中に語る。まるで、それを捨ててしまったら、アーティ
ストではないと思い込んでいるからではないか。ここには、アーテイストという生き
方の誤解があるように思う。
 この幻想「プロのアーテイスト=絵で飯を喰う人」という図式は誤解ではないか。
アートは職業になじまない。むしろ、アーテイストは生き方である。自分の生活は別
途、自分で支え、自らの想いを納得のゆくまでカタチにし、他者へ伝えようとする人
間。生き方。それは素晴らしい生き方だと思う。
 そうした生き方と思い定めれば、自由になれる。うまいへた。評価されたされない。
売れた売れない。人と比べない。楽しいから描いていた頃。そして見てくれた人に喜
んでもらえたことが幸せだったあの頃。人の評価でなく、自分が良いと本当に思える
ものができたときの喜び。それが本当の自由。
 そうした生き方をした人に、ゴーギャンがいる、ルソーがいる。無数の絵描きがい
る。むしろ、ピカソのように絵で喰えた人はまれ。全体の1%もいない。宝くじを当
てるより難しい。そんなギャンブルのような賭けに自分のアートを翻弄されてはつま
らない。
 この生き方、絵描きに限らない。評価されるされないに関わらず、自分が良いと思
える事を人と比べず追求する。そんな人はもうすでに本物のアーテイスト。そう、実
は、アートは絵描きだけの専売特許ではない。誰もがアーテイストに成れる。
Art in You
 そもそも職業とは誰かのニーズがあり、そのニーズに応えて成立するもの。アート
には、もともとニーズがない。自発的に想いをカタチしているだけ。だから職業とな
じまない。しかし、ごくまれに職業として成立してしまう者が現れる。ここが、幻想
を生む原因だ。では、これを、どう考えれば良いか。
 アートが職業として成立する。それは偶然としかいいようがない。もちろん、作品
には「美の基準線」が存在する。作品として成立する最低限の質は昔から変わらずに
ある。努力次第でそれは手に入れられる。美大で教育するのはここ。だが、それを満
たした作品が売れるかというと、そうとは限らない。
 偶然に作品が売れてしまうのは、時代や環境、流行など外的要因が大きい。だから、
時代によって評価も変動する。たとえば、最近になって評価が高くなったフェルメー
ル、逆にビュッフェのようなケースも。現在たまたま喰えているアーテイストもどう
なるか。喰えることと質とは別次元である。
 この「質」と向き合うことは、自分と向き合うこと。外的要因ではなく自分の努
力で報われる世界。ここは裏切らない。「喰えることは偶然」と腹を決められれば、
何も怖いものはなくなる。悲しいのは喰えないことではなく、アーテイストとしての
目的を失うこと。
 目的を失うと、すべてまわりの責任にする。「環境が悪い」「日本の文化度が低
い」「社会が悪い」「マーケットが悪い」・・そして、戦略を巡らし、外堀から埋め
ようとする。これではいつまでたっても自分の「質」と向き合えず、一流のアーティ
ストとして生きられない。
 もちろん、社会構造の問題もあるので、私自身、「文化芸術基本法」の制定や、
「文化防衛戦略」への答申、税制の改革など。日本の構造改革にも関わってきた。し
かし、それでもアーテイストの生き方の問題は依然として解決しない。
 むしろ、ア-テイストな生き方をする人が増えてくれば日本の構造も変わる。な
ぜなら、アートには人を思いやる想像力と、出口の見えない問題を突破する創造力の
2つが獲得できるから。自分と向き合う感性を持った人がたくさん出れば、日本のカ
タチはすぐに変わるのは当然。
 だから、すべての人にアーテイストな生き方が必要。「アーテイスト=絵で飯を
喰う」という幻想が、すべての人のアート教育の機会を奪う。音楽、踊り、建築、書、
どんな分野でも、人間を人間たらしめる根本の教育。それがアート教育。矮小な幻想
を常識と勘違いしてはならない。
 Art in You. こうしてアーテイストは、たかだか150年の小さな「名詞」の殻から
解放され、悠久の大きな「形容詞」に変容する。そして、アーテイストは幻想でなく、
リアルな「生きざま」として刻印される。




2014年4月27日[土] 路地裏で



普段は凡庸に過ぎ往く道端で、次元の壁をすり抜ける瞬間を持つ。
ほとんどの切っ掛けは植物たちの仕業だ。
あいつら時折手招きをする。魂の耳たぶをそっと噛み、小さな声で囁き誘惑をする。
ぼくの好きなパラダイスの形を知っていて、絶妙なタイミングでそこに引きずり込む。
悦楽の小宇宙が眼前に広がっていく。
被写体を前にしながらシャッターを切る。ファインダーで切り取られた世界に宇宙を感じ陶酔して行く。
日常の中に表現のエッセンスが散りばめられている。

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一番上の写真の植物は「山吹」です。
山吹色という色名になったあのヤマブキです。
花びらが散り、萼(がく)だけになった状態です。
葉の形でお分かりでしょうか。

どのパーツも素敵なフォルムをしています。
蕊(しべ)が落ちて欠落した部分も素敵です。
どこをとっても完全であり無駄はありません。

雑草と一言で片づけられる植物たちがあまたあります。
実際そう言われる植物たちは一見すると、退屈な感じがあります。
しかし、それらに近づいて微視的に視てください。
あっと驚かされる姿がそこに出現します。

植物たちに接するといつも驚異と神秘を感じます。










2014年4月14日[月] 赤塚祐二展オープニングへ



コバヤシ画廊で開催中の赤塚祐二氏の新作展に行った。
初日17:30〜オープニングパーティというお誘いを受け、ぜひ拝顔をと思い顔を出すと、
作戦通り、パーティ開始直後はまだ人も少なく、落ち着いてお話しをすることができた。
赤塚さんも素敵な人だ。朴訥でかわいく、でも魂は激しさを持っているといった印象だ 笑。
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suspense
Yuji Akatsuka

赤塚祐二展

2014.414 mon - 4.26 sat

11:30 - 19:00 最終日17:00まで
日曜休廊

コバヤシ画廊
東京都中央区銀座3-8-12ヤマトビルB1
tel 03-3561-0515

http://www.gallerykobayashi.jp/

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赤塚さんは学科は違ったが大学のひとつ先輩で、大学院生の頃知り合った。
当時はグラフィックよりの制作をされていたが、本来の絵画に立ち戻って行き、あれよあれよとスターダムへ。
しばらく疎遠だったが、昨年の私の個展を機に再びお近づきになることができた。
面白い仕事されます。
画廊に入って右側の壁に架かっていた小品が一番私に語りかけて来た。何かじわっと来るものがあった。
シンキングルームを作って架けておけたらいいだろうなぁ。精神に良き効果がありそうだ。
ぜひ、みなさん足をお運びください。

私も6月のコバヤシ画廊の個展に向けて、ねじを巻かねば!





2014年4月13日[土] 奥山民枝さんのこと



昨日から4月27日[日]まで田園調布の みぞえ画廊 田園調布ギャラリーで奥山民枝 展 —雲— が開催されている。

★奥山民枝 展 —雲—★
 4月12日[土]〜27日[日]10:00-18:00
 みぞえ画廊 田園調布ギャラリー
 http://www.mizoe-gallery.com/

絵はもちろん大好きだが、ご本人が素敵!今日はオープニングパーティということで奥山さんに必ずお会いできると思い出かけた。

田園調布という響きから少々気になってはいたものの画廊を前にしてその佇まいにびっくり!「THE 田園調布!」といった個人の趣味のいい大邸宅をギャラリーにしましたという感じで、入るのに少々臆し、いざ扉を開けるのを戸惑いました。中から眺める庭が素敵で、京都の割烹料理屋の坪庭を愛でるような気分でした。

奥山ワールドを拝見し、リビングという空間に大勢のお客さまに囲まれて奥山さんがおりました。とにかくオーラが違うのがわかる。人の意識の持ち方ってあります。興味深いです。

奥山さんはここ数年、日本画の材料を使って作画もされていて、この辺りも気になるところですが、やはり朦朧とした空気に孕まれた光を描いた作品が素敵です。

勇気を振り絞って奥山さんにお声がけすると気さくな彼女はあらまぁ!ようこそ!と応対してくださる。その人間性たるや魅力的です。しばらくお話をしてくださり。科学哲学のお話しになって、そこからの勢いが凄かった!自分の興味もあって、「勉強するから課題図書出してくださいよ」と言うと、さすが大先輩インパクトのある応えが返って来た。「え〜、困ったなぁ〜。どうしよう。そうだ!私の本読みなさい!」

ギャラリーで即購入。もちろんサインもしていただきました。アップした写真がその本だ。「山水戀圖」岩波書店(1,600円+税)。この本を読んで、20日のギャラリートークへ顔を出したいと考えている。






2014年4月12日[土] 岸田劉生のこと



先日、岸田劉生の展覧会を観に世田谷美術館へ出かけた。
桜のシーズンと重なって桃色に染まった砧公園はにぎやかだった。

知人から、要らないからと岸田劉生の豪華本をいただいたのはもう何年前のことだったろう。研究室の片隅で固まりと化していたそのオブジェを本としてきちんと紐解いたのは昨年の終わりの頃だったか。

そこには私の知らない劉生が居た。西洋のリアリズムの画家という見方で括っていた自分を恥じた。麗子像ひとつをとってもそこに潜む東洋の問題になぜもっと早くから気がつき研究材料としていなかったのか。

最近思いを馳せるのは日本人の描く近代西洋画の美意識のこと。油彩を用い描くその世界は単に西洋に被れている訳じゃない。そんな東洋芸術の在り様と精神性といったことを考える。岸田劉生の父、吟香や麗子のことはとりあえず置いておき、そんなことの確認に行った。
いろいろと感じさせていただいたが、今回の一番の成果は、麗子像の裏には寒山が潜んでいたこと。

自分の向かう先への道しるべをここにも見つけた。