お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2014年6月28日[土] ★個展「濾過II」終了しました★



コバヤシ画廊にて開催しました個展は無事に終了することができました。
お陰さまでたくさんの方にご高覧いただき至福でございます。
会場に足をお運びいただいた方はもとより、応援してくださったみなさま方にも感謝申し上げます。

昨年12月からたった半年後に無謀ながらも再び個展を開催するという異例に短い期間の中で奮闘した結果が多少なりとも出たのではないかと手前味噌ながら感じております。まだまだ課題は山積みですが、また来年も画家としての仕事をご覧いただきたく精進する所存です。

ご期待ください。


*アップした作品は、小部屋にあった小品です。
ちゃんと撮影していないので、ピンぼけ かつ 色がひどいのですが…。
「呼吸するように息づく」24.2×33.3cm pigment on canvas 2014
「このようにしてつくられる」31.8×41.0cm pigment on canvas 2014






2014年6月22日[日] 個展を前にして



ファインの絵を描くこと造ることは、私の場合、神おろしをしているようなものだ。
非日常の空間に飛び込んで制作をするということになる。
日常の中で非日常に潜り込む隙間というか、高次元へ入り込む空隙というか、そんなものを見つける作業から始まる。
祠のような空間に籠って禊をし、私は「いたこ」と化す。「いたこ」となった私の魂はこの場所を離れ霊的な場へ向かう。あちら側ですることがこちら側で結果となって表れる。
こちら側の意識が強いと破綻がくる。波長はあちら側に合っていないとうまくいかない。
絵を造ろうとする意志を持たなければすべてがうまくいかない。その上でお導きのまま委ねるのだ。大きな力に身を任せるのだ。
しかし、こちら側の準備がうまく行っていないと結果は惨憺たるものだ。こちら側の準備、それが型ということだ。型がしっかりできていないと、神は「破」を与えない。
この世で描くな、あの世で描け。しかし、この世に戻って来ることが大事なことだ。基礎がしっかりしていないと戻って来れなくなってしまう。まぁ、その前にあちらへは行けないと思うが…。だから基礎のしっかりした先達たちはみんなあちら側へよく出向いている。向こうからこちら側へ持って来ているんだ。そうじゃなきゃファインなんてうまくいかない。
なぜ描くのか?私の中にちらちらと魂をくすぐるあるものが、それをしなさいと仕向けるからだ。こちら側のことだけで満足できる人じゃないってことだ、自分が。
それにしても絵具を扱っているのは愉しい。絵具をいじることって、この世にいると苦しいけれど、ある瞬間あの世に移動してしまうと解放され、これが至福をもたらすのだ。
改めてなぜファインの絵を描くのか?
純粋ということに触れていることが一番大事なことと霊的な魂のレベルのところで感じているからなんだろう。





2014年6月14日[土] 古田足日先生の通夜



今夜は古田足日先生の通夜に参列してきました。
大勢の弔問客の中に懐かしい顔がちらほら。
葬儀委員長である田畑精一先生とごあいさつ。
童心社の会長である酒井京子さんとはほんとうに久しぶりのご対面。
絵本作家の長野ヒデ子さんともお話しすることできました。
悲しい場所であろう空間は意外にも光に包まれていたように感じました。

入口の脇にも祭壇の脇にも、全集が置かれていました。
そしてそこにはもうひとつ重要な本がありました。
「わたしたちのアジア・太平洋戦争1〜3」です。
古田足日先生と米田佐代子さん、西山利佳さんの編による太平洋戦争の記録です。
この本の凄いところは(米田さんのお言葉をお借りすれば)、戦争の悲惨な体験と同時に「加害」の視点が入っているところです。最近のきな臭い社会を鑑みて、ぜひこの機会にご一読いただければと思います。

この本もブックデザインを手がけさせていただきました。ありがたいことです。
本文のフォーマット造りももちろんですが、カバーのビジュアルイメージをどうするかが大変むずかしかったことを覚えています。

おまけにという言い方はおかしいかもしれませんが、この本の3巻目の中のシベリア抑留についての原稿を私が書かせていただきました。
私の父は終戦後シベリヤに抑留されました。父はいつもそのことを茶化すようにジョークにしていました。ジョークにせねば耐えられなかったのかもしれません。私はこの機会に真実を聞こうと考えました。父は取材に応じてくれ、遠くを見るような眼をしたり、つい先ほど起きたことを話すような表情をしたりと、万感を噛み締めるかのように話をしてくれました。
話してしまってすっきりしたのでしょうか。父はこの本が出版される直前に還らぬ人となってしまいました。取材をしなければ死を迎えることは無かったのかと一時期は悲嘆にくれたこともありましたが、享年82歳を思えば、まぁ父の人生だったのだろうと今は考えるようにしています…。

古田先生にとって、とても大事な御本を手がけさせていただけたこと心より感謝申し上げます。先生との仕事は、地に足の着いている正しい仕事ですから、大変考える仕事となります。私は背筋がピンッとなり、脳から脂汗が噴出し、悲鳴が上がります。ここへ来て古田先生の訃報に触れてこれまた、背筋ピンッとなりました。
「わかった?だからしっかりやるんだぞ!」と言われているかのようです。

先生、改めてご冥福をお祈り申し上げますとともに、これまで以上にしっかりやろうと思います。生前はどうもありがとうございました。





2014年6月12日[木] 個展開催のお知らせ



★谷口広樹 個展「濾過II」開催★

ファインの仕事です。絵具と戯れています。
格闘という方が合っているでしょうか…。
昨年末に開催したばかりですがよろしくお願いいたします。

2014年6月23日[月]〜28日[土]
11:00 - 19:00(最終日は17:00まで)

コバヤシ画廊
〒104-0061 東京都中央区銀座3-8-12
http://www.gallerykobayashi.jp/






2014年6月10日[火] 古田足日先生のご冥福をお祈り申し上げます



「おしいれのぼうけん」の児童文学者・古田足日先生が心不全のため亡くなられた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

童心社の「母のひろば」という会報がある。それが今日届いたが、巻頭の原稿を古田先生が書かれていた。2006年11月に安倍政権が教育基本法を改悪したという文を寄せていた。この会報をデザインしている私は、今から一ヶ月前に古田先生の原稿を拝読しお元気なこととばかり思っていた。

「おしいれのぼうけん」の出版社である童心社さんとは古くからのおつきあいで、そのよしみからか古田先生の全集(全14巻)が出版されるときブックデザインを担当させていただいた。もう20年以上も前、30半ばの頃のことだ。

訃報をお聞きし手元に置いてあった数冊を手に取ってみた。どの巻もボリュームのある充実した内容の全集だ。このようなお仕事に携わることができたことほんとうに幸せだと身にしみる。当時のことがいろいろと思い出され懐かしくも神妙な気持ちになる。

この本のカバーは、写真からわかるように古田先生の作品と縁のある画家の方たちに子どもの顔をいくつか描いていただき、表表紙と裏表紙に一点ずつ、背に六点並べた。全巻揃うと84人の子どもの顔がずらーっと並ぶ。いろんな顔の子どもたちがいて、それを眺めていると今でも子どものパワーと絵の自由さと楽しさで元気になる。
カバーを取った表紙には「おしいれのぼうけん」の挿画を担当している田畑精一さんの絵をあしらい、全巻並べると背がその場面の一枚の絵になるようにデザインした。カバーで表面的な子どもの幼気な表情を表し、カバーを剝いだ子どもの内面には大人以上の宇宙に通じるエネルギーが満ち溢れているというメッセージを込めてみた。

訃報に触れ、改めて古田先生の偉大さに接し身が引き締まる思いだ。
子どもを護るため、平和のため、政治への進言も果敢にされる、こうした立派な先達の思いをしっかり受け止め、正しいことへ投げかけ導いていくこと真剣に考えていかねばと背筋を伸ばす。

古田先生、安らかにお眠りください…と思いつつ、あちらからもこちらの世界を見守ってください…と、もう若くない若輩者がお願いをしてしまうのだから、ゆっくり眠りにもついていられないですかねぇ。すみません! 笑。






2014年6月5日[木] パラダイス



日本には3000種以上の苔があるそうだ。
苔はなんだか気になる存在だ。
この季節になると道の傍らでわいわいしている。

厚木キャンパス1号館の裏口を抜けるとおいでおいでと地面が囁いている。
小さな歓声が耳に届き足下を見ればゼニゴケだ。
こいつらは雌だ。破れ傘と呼ばれ雌器托という器官の裏側に精子が到達して受精する。

顔を近づけて言ってやった。

オレ ハ ゼニゴケ ノ オス ジャナイゾ!

近視眼的に視ると密林のようで面白い。
なんと不可思議な生命体を誰が造ったのか。
我も苔のようなfunnyな造形を表出したいものだ。