お猿の戯言 homosapiensaru's babble
2010年5月30日[日] 智恵子抄
「智恵子抄 高村光太郎と智恵子 その愛」という展覧会が神谷町に近いホテルオークラの裏の方に位置する菊池寛実記念 智美術館で7月11日[日]まで開催中だ。
→ http://www.musee-tomo.or.jp/
智恵子の「紙絵」が展示されると知り、ぜひ訪ねようと思った。
なかなか智恵子の「紙絵」にはお目にかかることができないので楽しみにしていた展覧会だった。
今回展示されているものはオリジナル作品ではなく、原画を複写し再現されたものだったが、それでも紙の貼り合わされた質感がよく再現され、智恵子のその脆弱で神経質な(それでいて、あっけらかんとしたフォルムと色彩に微笑みもする)画面からは心を留めないではおけない不思議な何かが滲みだしていた。その得体の知れない精神に作用するものは僕の眼には小さな発光体のようでちかちかと光り魂の奥深くに突き刺さってきた。
死の床に伏した最後の二年間弱の偉業であるこの紙絵は日々制作され、その数は千点を超えた。マティスが最晩年、身体の自由が利かなくなり切り絵という制作方法を採り遺した作品のことが脳裏を過るが、智恵子の紙絵は自身の死を背中合わせとした芸術としてはもっと個人的なものである。油絵を断念した智恵子は、光太郎が差し入れた千代紙にすがるようにして病床においても芸術家としての自分を位置づけるために最後の闘いをしていたのかもしれない。智恵子の人としての心を超えて魂のレベルで考えるとそんな風に思えて仕方がない。造形性においても興味深い作品であるが、いわゆる芸術といった場所ではない世界の価値観が見え隠れして心を掴む。人の深淵にある何かと繋がり、眼に涙まで浮かべさせるこの純粋な世界にぜひ触れていただきたい。
個人的には光太郎との愛ということの裏打ちを除いた形で智恵子の作品を考えてみたいのだが、同時に展示されている光太郎の詩を読めば智恵子への深い愛が言霊となって響いてくる(というよりは襲ってくる)のだからどうしようもない。「裸形」や「レモン哀歌」や「梅酒」を読んだらもう駄目だ。
湿り気を帯びた魂の温もりが優しい悲しみを伴って子宮という宇宙の内で千代紙を黙々と切っていると私には感じさせた。
2010年5月29日[土] GRAPHIC TRIAL 2010
専門学校生を引き連れて、TOPPANの印刷博物館P&Pギャラリーへ行く。
そこでGRAPHIC TRIAL 2010を観た。
もう5回目となる今回のTRIALのメンバーは、新村則人氏、菊地敦己氏、福岡南央子氏、仲野昌晴氏の4名のアートディレクターたちだ。
みんなそれぞれの印刷実験を行い、B1ポスター5枚の作品に仕上げている。
実験的にはそれぞれに面白さがあったが、最終作品としては個人的には、福岡南央子さんの仕事がよかった。
自分が関わったのは2006年の第1回のTRIALで金色の実験を行った。worksのgraphic/posterのところで見ていただけるようにしてありますが、ここにその5点の作品を並べてみましょう。さて、いかがでしょうか?
金色の紙に金色で刷ると意外にも茶色くなってしまうとか、さらに重ねても重ねても輝きが出るどころか、どんどん鈍くなってしまったとか、より金色に見せるためには黄色を載せることの方が効果的であったとか…と実験を通して分かったことが多々あり、金で描かれたものを金を使わず再現したり、金箔や金の砂子のフェイクを追求したり、パターンを刷った上に全体を金色のベタで刷り重ね隠蔽することで隠されるどころかパターンが立体的な触感として立ち上がったりと興味深い結果が表現のバックアップを務め、テクニカルな面を含み充実した作品となった。しかし、今見るともっと実験できたなと5枚のポスター作品に物足りなさを感じている。万が一またこの仕事ができるとしたら、次も金色についてTRYしたい。
GRAPHIC TRIAL 2010は、7月19日まで開催中だ。
→ GRAPHIC TRIAL 2010http://biz.toppan.co.jp/gainfo/graphictrial/2010/
2010年5月28日[金] 1Q84
先日、知人と話したとき村上春樹の小説「1Q84」の話題になった。
相当しばらく村上ワールドから離れていたが、彼の話を聞いて今更ながら読み始めた。
村上春樹と河合隼雄との接触の話に興味を覚えた。シリーズの3巻目が1・2巻を飛び超えてずば抜けて面白いらしい。村上春樹が河合隼雄呪縛から解放されたんだそうだ。その検証もしたくなって読み進めている。
今日1巻目の半分を読み終えたところだ。村上春樹独特の比喩の言い回しを目にし、若い頃に親しんだあの感覚が蘇ってくる。
最近読書を怠っていたが、物語の中に没頭することは脳の皺に媚薬を塗っているようで、もうひとつの日常に陶酔していく感じがある。
読み進めながら、自分の1984年がどうだったかが気になってくる。
今日、同僚と我々の世代のことを話したが、20代半ばから30代頭にかけてあの異常なバブル経済を過ごした我々の感覚というものは特殊なものだと考えなくてはいけないと確認し合った。僕らの世代の功罪というものを考える必要があると感じた。
きんつば:和菓子とお茶で一服しながら読書
2010年5月26日[火] 幸せ
人が喜びを感じるのは
愛されているとき
ほめられるとき
人の役に立っているとき
人から必要とされているとき
なのだそうだ。
愛されているということ以外の三つは働くということの中で感じることができるそうだ。
労働ということの中に人の幸せが潜んでいる。
生きていくために金は大事だが、働くということが金を稼ぐという意味だけにつながっているだけだとしたら悲しい。
この世に生を受け、そして死に至る。この間のことをどう受け止め、どう過ごしていくのか。その考えをどう実践するかでその人の人生の幸福感の幅が決まっていくようだ。
2010年5月24日[月] 痛風 その後
定期検診の結果を聞きに慶應病院へ行く。
一週間前に胸のレントゲンと採血をした。
ムネ ハ イジョウ ナシ
ケツエキ モ トクニ モンダイ ナイナ
先生!先週ご提案いただいた尿酸値を診てくださるという件はどうなっていますでしょうか?
(わ、忘れてる!)痛風の疑いがあるってお話しされたじゃないですか!?…と尋ねたら血液検査の結果の数値が並んだ表をおもむろにPCからプリントアウト。ボールペンで尿酸値のところに丸をつけながら、
「7.1(健常者はMAX7.0) ダカラ マァ ダイジョウブ ダロ!?」
…と、かんた〜ん! 先生、食べ物とか気をつけた方がいいんですよね?と聞くと早口で四項目を挙げられたが、最後の焼き鳥しか聞き取れなかった。私の担当医は、いつもの調子と言えば調子なんだが、もう少し患者に対して愛情を注いだ方がいいと思いますがねぇ〜。
2010年5月23日[日] 光琳の燕子花図屏風
根津美術館で開催中の「新創記念特別展 第5部 国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開」を観に行く。今日が最終日だ。
やはり全体の中で、光琳の「燕子花図屏風」は際立っていた。少ない色数とシンプルな表現であれほどの豊かさを演出するのは凄い。
しかし自分は、地味にひっそりと陳列されていたが、伝 俵屋宗達とはあるものの、菊をあしらった扇面画がよかった。
金銀泥で描かれていたということは、あの黒い部分は元々銀だった箇所が酸化したものかと思いながら当時の扇面を想像しながら鑑賞していた。
「時代がつく」という言い方があるように時間が経ち古びて行く中で育まれて行く美というものがある。寂(さび)ということだが、骨董や古美術品を観るときには、特にこのことを考えさせられる。
展覧会としては、想像したよりは満足度の低いものだったなぁ。
2010年5月22日[土] ソラニン
先日、映画「ソラニン」を観た。
なかなかよかった。涙した。
アジカンは、残念ながらずーっとは聴けません。
まぁでもあの音をくるりがやるというのは違うのでわかります。
最近は、ロードショーをよく観る。
「かいじゅうたちのいるところ」
「第九地区」
「アバター」
「アリス・イン・ワンダーランド」 …etc.
こうして並べるとなんだか恥ずかしい感じのラインナップだな…。
ソラニンを観ながら思ったことのひとつ目は、やっぱり日本映画はいいなぁということ。
ちょっと古いけど「ALWAYS 三丁目の夕日」や「かもめ食堂」「ぐるりのこと。」も楽しんだ。比較的最近では、「泣くもんか」や「火天の城」も観たがこのところにわかに日本映画が来ている。あの日本独特の感性的表現にポ〜ッとする。アカデミーショーとか欧米の価値観なんて置いときましょう。
それと、もうひとつ感じたのは、自分は「おあい」なぁ〜ということ。宮崎あおいがお気に入りぃ〜というのではなく、「蒼い」ということ(笑)。そこに自分で惚れもするが、呆れもするところだが、こうした魂の傾向を持った谷口広樹という人間がこの世に存在する事実を見つめる必要があるだろうと最近はつくづく思う。スタンダードを尻目にこのお馬鹿が好き勝手に表出するものを自分自身がちゃんと意識しないといけないと今更ながらそう考えている。
日本的表現、日本人的表現、ばんざ〜い!
2010年5月21日[金] 古本屋
久し振りに神田の古本屋街へ行く。
学生の頃はよく来ました。
小川町に近い源喜堂で
別冊 太陽「円空—遊行と造物の生涯」平凡社 と
日本陶磁全集22「光悦 玉水 大樋」中央公論社 を購入。
こういった類いを学生の頃から面白がってましたね。
その後、ホームページのマイナーチェンジをお願いしに松濤へ移動。
diaryの整理やら、TOPページのことなど相談。その場で対応していただき感激!
痛風の疑いがあるにも拘らず、スタッフのみなさんと呑みに繰り出す。
いい酒でした。
2010年5月20日[木] 諸々
ネタは充分過ぎるくらいあるし、diaryに向う気持ちがあっても実質の時間がままならない。
ここのところworks(homosapiensaruという項目を追加した)を少々いじっていたが、diary以外のところを更新しても誰しも気がつかない構造をしていることに今更ながらに気づいて、これからは更新した箇所があればそれがTOPページに反映されるようなシステムにすることにする。
なかなかdiaryに向かえないと言いながら、ギャラリーや美術館には足を運んでいる。しかし、それも自分が会期終了間際に行っているのでは、このサイトを楽しみにしていてくれる人たちのためにならないよなぁと常々感じてはいるのだが、なかなか始まりと同時に出かけるようにして感想等をUPするということができないでいる。これもなんとかせねば!
国立新美術館のARTIST FILE 2010には憤りを感じ、同美術館のルーシー・リー展(6月21日まで)では魂を鼓舞され、武蔵野市立吉祥寺美術館の棟方志功展(5月23日まで)では世界に対峙する志功のマインドの純度さに触れ頭を垂れた。
→ 国立新美術館
→ 武蔵野市立吉祥寺美術館
FOIL GALLERYの荒井良二展「meta めた」(会期延長となり、5月28日まで)のオープニングに出かけ、久し振りに氏と話す。作品集「meta めた」を購入し、サインをしていただく。「たにぐちくん(僕の方が歳下なんです)は、いやらしいから…」と、サインとともに素敵な絵も施してくれました!荒井さん、ありがと〜!
→ FOIL GALLERY
初めてのDESIGN FESTA vol.31視察においては熱気を感じたものの、やはり想像通りの全くの物足りなさに納得をしつつ、そこにいる自分に羞恥心さえ覚えた。いたたまれなくなって、そして、こんな言い方は失礼だが自分がそのオーラの影響を受けないよう会場を後にした。どう考えてもプロやプロを目指す者がその場にいてはいけないと感じた。
東京オペラシティアートギャラリーの猪熊弦一郎展は、あまり期待していなかったのだが、これがよかった!学生のときに、三越百貨店の包装紙のデザインが氏のものだと知ったとき、妙な親近感とともにリスペクトするべきアーティストとなったのをよく覚えている。93歳で亡くなる直前まで毎日スケッチブックに向っていたその絵を目の当たりにしたとき、絵を描くことの核となる姿勢を突きつけられて、自分の不甲斐なさに、純度の低さにクリエイターぶっている欺瞞に満ちた自分に申し訳なさを感じた。
神は常に、そういうおまえは真性か?否か?と問うて来る。
→ 東京オペラシティアートギャラリー
23日[日]で終わる根津美術館で開催中の「新創記念特別展 第5部 国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開」という展覧会は観に行かなくちゃ。あと数日で終わってしまう。
→ 根津美術館
それともうひとつ、菊池寛実記念 智美術館では、 「智恵子抄 高村光太郎と智恵子 その愛」展(7月11日[日]まで)を開催中だ。智恵子の紙絵は純度の高い美術表現として観ておくべき重要なアイテムのひとつだ。
→ 菊池寛実記念 智美術館
2010年5月7日[金] 痛風!?
近所の整骨院へ出かけ、右足の親指の付け根を見てもらう。
その日の様子をお話しすると、僕くらいの年齢の男性で特に原因などがない場合は、普通、痛風だと思いますよ…とおっしゃる!
え〜っ!痛風!?
そういえば、3月に行った人間ドッグでは尿酸値がどうだったっけかな?
とにかく、いずれにしても、かかりつけの医者に相談した方がいいかな…。
整骨院の先生に捻挫の話をすると、先生はちょっと身体を全体に見てみましょうか…と、うつぶせにさせ、マッサージを施してくれた。
凝ってる凝ってる!右側が特に痛い!知らぬ間にこんなに歪んでしまったのか?
2010年5月4日[火] 右足の親指の付け根に痛みが…。
朝、右足の親指の付け根のところに違和感を覚え目覚める。
見るまでもなく腫れているのが分かり、ズキズキと痛む。
立ち上がり歩行しようとすると痛くて普通に歩けず、ビッコを引くような感じになってしまう。
どうしたんだろう?
2年ほど前に5cmくらいの段差のところで転けて捻挫をしたことがあった。それをカヴァーしてきたことでこの部位に痛みが来たのだろうか?