お猿の戯言 homosapiensaru's babble
2010年7月28日[水] 青山塾
一年に二度ほどイラストレーション青山塾へ講師としてお邪魔している。
昼間、厚木キャンパスで1年生と2年生の授業をした後のことだったので、どうしても大学生と青山塾の受講生の作品や人としての姿勢といったことを比較してしまった。
親のスネをかじっている者がほとんどであろう大学生と一度社会に出てやっぱり絵を仕事にしようと自ら再び学んでいる者とでその志の高低の違いはあるのだろうか。大学生に生じるハンディキャップというのはもしかしたらあるかもしれないから差し引いて考えなければいけないかもな。だけど、それぞれに人は違うし、すべてのことは一概には当てはまらない。
大人だからとか子どもだからとかということも当てはまらない。だから面白い。
わかっていることはただひとつ。いつしか誰もが死を迎えること。
だからそれまでどうやって生き抜くかを真剣に考えなければならない。
そう、生きていくのに僕は絵を必要としている。
まだまだ、それは途上ではあるし、自分自身もやもやとはっきりしないことも多いが、同じように考える者たちに僕に少しでも備わってきたものを分け与えるのがひとつの役目だと考えている。
どの空間に居ようとも、どの時間に居ようとも、絵を学ぶ者同士理解していなければならないこと。
それは人との関わりの中で相対的にあってこそ人々の共感を得ることのできる作品が生まれてくるということ。そうでありながら自由であること。観念的な念いから解き放たれること。心に垣根を作らないことだ。
そんな人たちが自由な絵を描いている。
自由に絵を創造している。
悲しいかな、なぜか人は不自由さの中に生きようとし、さらに多くの不自由を自分の身に引き寄せて、ほとんどの人が身動きの取れない状態を自ら作り出している。ぜひ、観念のふたを開け、魂を自由にしてもらいたい。
ところで、今日の青山塾での講評会だが、この代の青塾生には何人も面白い人がいて、僕自身も刺激をいただいてなんともありがたかった。
2010年7月22日[木] 正木春蔵 作陶展 色絵磁器
陶芸家 正木春蔵氏の展示会のオープニングに顔を出した。
→ サボア・ヴィーブル
どうしても正木さんにお会いしたくてオープニングに行こうと決めていた。
会場のサボア・ヴィーブルに入るといらした、いらした!
久し振りの正木さんだ。もうずいぶんお会いしていない。
正木さんは僕の顔を見るとあれ〜どこかで会ったようなぁ…という微妙な表情をされている。
「たにぐちひろき です」とあいさつをしながら近づくと、霧が晴れたような顔つきになって「ちょっとお願いがあるんだよ」ともじもじされる。
そのお願いというのは、僕に文字を書いて欲しいというものだった。
その字というのは「融通無碍」だ。
そう、一昨年の11月にシロタ画廊で開催した個展のタイトルだ。そのDMに使用した手書きの文字を大変気に入ってくださったということだ。
なんとありがたく、うれしいお言葉。しかも人気陶芸家の正木さんに言われ、舞い上がりました。
いやぁ、うれしかったなぁ。
どうしてもお会いしたかったというのは、正木さんに呼ばれたということだったのだ。
2010年7月17日[土] 芹沢銈介美術館
仕事で静岡に入る。
すぐに用件は片づいたので、予め調べておいたあの登呂遺跡の一角にある芹沢銈介美術館へ向った。
素敵な美術館だった。
→ 静岡市立芹沢銈介美術館
大学時代、自分の表現をあれこれと考えている頃、工芸というジャンルにも興味を覚え、この芹沢銈介という人の仕事にも関心を寄せたことがある。
彼もまた絵を志していたそうだが、旅先に持参した柳宗悦の書籍に触れ、その工芸論に深く感動し染色の道を見出したということを改めて知り一層の興味を覚えた。
後に芹沢銈介は柳宗悦と出会い、河井寛次郎、濱田庄司らとも交流を深め、ともに民芸運動を進めることになる。
最近は、作家の年表というものが気になる。
この人の人生もまた興味深い。
今回の企画展示は、芹沢銈介の収集品のうち、木工に焦点を絞ったものだったが、興味を抱き集めたものを観れば彼自身の作品を観るよりも作家の創造の原点に触れることができ、より造形的な信用を得られ興味深い。
なんだかわくわくして美術館を出た。
2010年7月14日[水] アニメ絵とコミック絵とイラスト
高校へ出張授業のため出かける。
美術系の高校なので少し期待をしては行ったものの、やはりみんなの描く絵はマンガだ。
そりゃ、生まれて気がつけば自分の周囲にある絵という環境はマンガが圧倒的であろうし、マンガ絵になるのは当然だろう。生徒たちが間違っている訳じゃぁない。しかし、これまで表現とは数多の歴史と幾多の種類がある。そして、これから先、表現の歴史は相変わらず作られていき、新しいものに塗り替えられていく。足踏みは許されない。アマチュアが趣味でいいというのは当たり前のことだがプロを目指す者がそれを言ってはならない。
アニメーション学科の先生は言う。
アニメーションは動いて初めてアニメーションだ…と。
だから「アニメ」という言い方は嫌だ…と。
マンガ学科の先生は言う。
マンガはコマ割りがあって初めてマンガだ…と。
マンガ風の絵を一枚描いてマンガですという学生の扱いにひどく悩んでいる…と。
デザイン学科の先生は言う。
イラストという短い言い方をされるようになってからイラストレーションの世界は軟弱になっていった…と。
イラストレーションの世界では一枚のマンガ絵が存在することをアニメーションやマンガの世界のように厳格に困ったというほどではないにしろ、実際仕事としてマンガやアニメ系の一枚絵のイラストレーションの需要はほとんどない…と。
マンガが駄目ということを言っている訳じゃもちろんない。むしろ今や日本の文化としてクールジャパンと言われ世界に轟き、その評価はますます大きくなっていくだろう。
かつては自分もマンガ家になろうと考えたことがある。しかし、世界は広い。世界は深い。いろいろなものに触れればその多くの表現の内に秘められた真・善・美というものに気づき、強く感動し、自分の表現のスタイルがどんどん変化をしていったことを思い出す。
若いうちは特に狭い殻に閉じこもらず、見聞を広げることだと考える。
2010年7月13日[火]「荒井良二」
私の講義科目である「イラストレーション論」に今年も何人かのゲストをお呼びした。
今日は荒井良二氏だ。
入口を幾つも持とう!というお話などトークも面白かったが、書画カメラを使った「ひとりワークショップ」が興味深かった。
やはり人が絵を描いているのだ。
他に、角川映画「人間失格」で主人公の描く絵を担当した天使の絵で有名な寺門孝之氏や作品集「MAGIC!」を出版された大塚いちお氏、CFを制作されている谷田一郎氏など「イラストレーション」というものをそれぞれの角度からお話しをしていただいた。
2010年7月11日[日]・12日[月] 沖縄出張
●11日
始発の飛行機に乗り沖縄に出向く。
大学のどさ回りだ。美術系進学相談会に顔を出す。
10:00〜17:00まで休むことなく受験生の相談に乗る。
少子化等の問題が深刻で一人でも多くの受験生を確保するためどこの大学も必死である。
こうした地道な行動が実を結ぶ(はず…汗)。
●12日
午前中に高校訪問し出前授業を行う。
ここの校長先生とご担当の先生方がとても熱心でよかった。
80人くらいの生徒に絵を描かせワークショップを無事に終え、一通りの仕事が終わった。
さて、自由である。
昨年、行きたかったが行けなかった場所へレンタカーを借りて移動することに。
読谷村にある「やむちんの里」という陶芸村へ向った。その中の大嶺工房が狙いだ。
「ごめんください」と靴を脱いでお店の中に上がり込むと俄に写真のようなお茶とお菓子でもてなされ、ゆ〜ったりした気持ちにさせていただいた。写真の場所はテラスで、左手は緑深い谷になっている。谷を渡るとても気持ちのよい風が身体と心に染みてくる。こんな場所にアトリエがあったら最高だなぁ〜!
お茶を一服いただき、何かひとつは陶器を買っていきたかったので物色を始める。
昨年、別の場所で見た粉引の豆皿があればと考えていたが、それとは遭遇できず、焼き締めの土瓶が眼に飛び込んできた。豆狸のようでかわいい。店内を一巡、二巡し豆狸を買うことにした。研究室でほうじ茶を入れるのに使おう。これを眼にした者はみな「夜この研究室で絶対狸に化けまてすよね!?」と言うに違いない。
器は面白いな。
沖縄そばを食べ、帰りの飛行機に乗る。
寝ていこうと思っていたのに何か絵が描きたくて描きたくてたまらなくなってしまった。
手帳は上の収納ボックスに入れてしまったし、取るにも窓側だし…で、やむなく眼の前のエチケット袋を取り出し展開し一枚の紙にしてそれに描きまくった!
あっという間に時間が経ち、気がつくと飛行機は高度を下げ始めている。窓の外を見ると、その夜景の素晴らしさに驚いた!こんなとき人はツイッター(みんながやった方がいいと勧めるのだが…)をするのだろうなと思った(機内だから無理なんだけどね)。
奥に東京タワー、左にレインボーブリッジ、手前右側にお台場の観覧車というシチュエーションだ。それがしかもイルミネーションアップされ、ぼくは「おお〜っ!スッゲェ〜!」とただただ興奮!
これは今度絵にしよう。
いいものを観させていただきました。
あぁ、感激! 出張万歳!! ばんざ〜い!!!
2010年7月9日[金] 「有元利夫」
有元さんが亡くなられてからもう四半世紀も経つんだぁ!…と、この展覧会の告知を知ったとき時の流れの早さに驚いた。
大学時代、この先生がおられたお陰で私は絵を描こうという想いを真剣に持つことができた。
最早、先生の亡くなられた年齢を遥かに超えた自分が何か恥ずかしくもあるが…。
私の通った東京藝術大学美術学部では3年次になると授業の一環として京都・奈良・大阪へ旅行し古美術巡りをする。その古美術研究旅行の引率の先生が有元利夫先生だった。
宿舎に着いた私は、夕飯までの自由時間を本棚のある部屋で過ごしていた。藝術新潮を手に取りぱらぱらとめくっていると右の絵が眼に飛び込んできた。安井賞特別賞受賞の告知頁だった。
「この絵、好きだなぁ〜!」と作家の名前を見るとそこには「有元利夫」とあった!
「えっ!今一緒にいる先生じゃんっ!」と鳥肌が立ったのを覚えている。
その夜から食事の後、有元さんを独り占めにしていろんな話を聞きまくったものだ。
今思うと不思議な時間を神は与えてくださったものだ。
これまでに観たいくつかの有元さんの展覧会の中では最良のものではなかったが、素敵な内容だった。忘れかけていたものを思い出させてくださるような、描くということへ向う私の背中をポンッと押してくださるような、有元さんのあの笑顔のようなやさしい力強さを感じることのできる展覧会だった。
第1室にあるアトリエで過ごす有元さんの大きな写真を見て、思わず合掌してしまった。
9月5日まで開催していますのでぜひ!観てください!
→ 有元利夫展 天空の音楽
2010年7月3日[土] 「春と修羅」序
宮沢賢治の詩集「春と修羅」の序が好きだ。
意味を追えば完全な理解は不能で自分のできの悪さにむなしくなるが、熱心な法華経の信奉
者だった彼の宇宙観というか思想というかそういった深いものをひとつひとつの言葉の並び
として捉えたとしても充分魂に染み込んで来て精神に作用する。頭ではなく、眼で、耳で、
それは研ぎすまされたカタチとなって心に響いてくるから不思議だ。
そうそう、「銀河鉄道の夜」というアニメーション映画(原案・作画:ますむらひろし、脚
本:別役実、音楽:細野晴臣)があり、そのエンディングタイトルのナレーションにこの
「序」が使われた。「わたくしといふ現象は…」と始まった途端、眼からぼろぼろと涙がこ
ぼれたのを思い出す。
久し振りに授業でテキストとして使い、教室で朗読をした。前に読んだのはいつのことだっ
たか?面白いことに、相変わらず意味は分からないが、響く広がりと深さとが少し増したよう
に感じた。これでも多少は自分の人生というものを噛みしめてもいるのだろうか。
賢治の選んだ言の葉の一語一語が、まるで小さな氷の欠片となってスッと魂に染み込んで来て
はジュワッと溶け、患部に湿布を施したようにス〜ッとしてくる。
また何年か後に読んだとき、どれくらい賢治に近づけているだろうか…。
→ 「春と修羅/序」
コインブラ(ポルトガル)の肉屋
神様グッズ in PORTUGAL
2010年7月2日[金] トムズボックスへ
来年の1月にトムズボックスで展覧会をすることに決まった。
本も造り発表する予定だ。
今日は吉祥寺のトムズボックスで荒井良二氏の個展のオープニングなので、偵察を兼ねて顔を出した。
実はもうひとつ出かける理由があった。
再来週に荒井さんに工芸大で特別講義(ちなみに来週は大塚いちお氏だ)をお願いしているので、ごあいさつをと思ったからだ。会場に着くと、案の定、サイン攻めにあっている荒井さんに遠くから(といってもそんなに店内は広くないのだが)お声をかけ、作品を楽しんでから会場を後にした。
その後、教え子が働いている呑み屋に顔を出し、お伴の学生二人と一杯やって帰った。
学生の前で、今思うことを吐露し、世の中の欺瞞に少々悪態をつく。管を巻かれた学生がどう思ったか。ごめんよ。
荒井良二の小さな展覧会『Who景』/ トムズボックス
7月31日[土]マデ 11:00〜20:00 木曜定休
→ http://www.tomsbox.co.jp/
2010年7月1日[木] なんとも!
岩波書店から出ているCD-ROM版の谷川俊太郎全詩集をMacに放り込んだら、Mac OS 9.1以降のクラシック環境でないと読めないことがわかって、呆然!
まぁな、十年前のものだし予測されうる事態だったか…。自分の不注意が招いたことだし、Crassic環境を起動して立ち上げればいいことなのだろうけれど、世の中、進化しているような退化しているような…。一日中もやもやとしてしまった。