お猿の戯言 homosapiensaru's babble


2013年5月31日[日] N.Y.

©PAUL KLEE/部分
©PAUL KLEE/部分
©HENRI MATISSE
©HENRI MATISSE



9月(水戸/ぎゃるりえ・しえる)と12月(銀座/コバヤシ画廊)に個展を控えて、N.Y.へ研究がてら視察旅行に出た。

旅を終えて、時代の中で語られる作家ではなく、時代を超えて存在せねば意味がないと強く実感する。おびただしい優れた作品たちに囲まれても、結局心に響くものは数点だ。
自分を満足させるものはやはり自分の内側にしかない訳で、それを自分で描き出すことでしかないのだと思い知らされる。


短い時間ではあったが、いろいろなGalleryやMuseumを訪ねて、結局は普段から自分の中でよしとしているものをやはり「goodだよね!」ということを改めて確認をしてきたというところか…。
UPした写真のラインナップを観ると恥ずかしいくらい王道だが…。逆に、20代前半にのめり込んでいたアートに全く魂が震えなくなっているということも興味深い。

Kleeよし!Matisseよし!Moneよし!Redonよし!Rothkoよし!

今回は、何故かEllsworth Kelly(一番最初の黄色地に黒の図版)の展示をよく眼にした。一時のめり込んだ作家だ。MOMAでは、昨年ウィーンでも出会した、オルデンバーグの展覧会が行われていて、改めてあののほほんとした簡単にできそうでできない仕事に頭を垂れた。


©CLAUDE MONET/部分
©CLAUDE MONET/部分
©ODILON REDON/部分
©ODILON REDON/部分
©MARK ROTHKO
©MARK ROTHKO


©Ellsworth Kelly<br>レディメイドの紙をコラージュした作品
©Ellsworth Kelly
レディメイドの紙をコラージュした作品
©CLAES OLDENBURG
©CLAES OLDENBURG
©CLAES OLDENBURG
©CLAES OLDENBURG


李朝壷
李朝壷
©KOHEI NAWA
©KOHEI NAWA

Metoropolitan Museumのアジアのコレクションも見逃せない。22歳のときにここの日本美術のコレクションを観て日本の凄さを知ったという大馬鹿者であった私は、それから東洋思想に目覚めていった。日本美術のエリアに、名和晃平の鹿の作品が置いてあり驚いた。また、同エリアにカンボジアのSopheap Pichという作家の竹を編んで作られた作品があったがこの作家の仕事が素敵だった。注目株だ。

N.Y.チェルシー地区のギャラリーでは、二つのGaosianでAnselm KieferとJeff Koonsを、PACEではYoshitomo Nara、Hauser & WirthではPaul McCarthyを観た。日本の概念にはないエキストララージサイズの作品に触れて、感激もなく、ましてや感動もなかった。

たった三日のN.Y.滞在だったが、N.Y.在住の日本人アーティストやカメラマンらとも食事をさせていただきながら、いろいろなことを考えさせられた。大変貴重な時間を持つことができた。

帰国の途につきながら心に飛来した思い。

生きている自分とその周りにある世界(社会)との間にある隔たっている部分とつなっがっている部分とを考える。価値とは何だろう。共有できることできないこと。社会の成り立ち。踏み込める部分と踏み込めない部分。どこに立つ。どこに立つことができる?日本人であること。国際人であろうとすること。私という個人が生きていること。生かされていること。今さら絵画ということ。けれども絵画ということ。何億という人間がいる中の私であることの意味。私が感じることその生きている意味。解明し死することができれば本望だ。


N.Y.の旅は終わり、そして再び、旅の始まり。






2013年5月23日[木] 名も知らぬ花



今ドクダミの花が真っ盛りだ。
同じ時期に咲く、一見なんてことのない花がある。
でも、近づいてよく見るととても素敵な要素をたくさん持っていてほんとうにうっとりする。名前はきちんと調べたことがないからわからないけれど、とても気になる存在だ。
あまり美人じゃないが、いつも着るものの趣味がよくて、センスを感じてしまうスラッとした女性といった感じだ。
シャツもちゃんとアイロンがかかっていて、きちんとした、決して派手ではなく、どちらかというと地味ながらも、内奥になんとも言えない美しさを秘めている、そんな素敵な女性を思わせる花だ。





2013年5月17日[金] 具象と抽象



寝る前にごそごそとドローイングをする。というかイタズラ描きだな。
個展のことをあれこれと思い巡らしては描く。
抽象的要素が強くなるはずの個展ではあるが、どうもできあがるものは具象が多い。

具象はハートをくすぐる。
抽象はハートを揺さぶる。

霊性を刺激する魂の鼓動は、抽象性の中にいる方が明らかに高ぶる。

と、こんなことを書きながら、UPする絵は「imomushi」だったりするのだ。
まぁでも、ハートをくすぐることができたらうれしい。







2013年5月12日[日] 母の日



迷惑かけっぱなしの母に二ヶ月近く連絡もしていなかった。
忙しくてバタバタしてるなんて理由にならない。
母の日ということもあって出かけてみた。

近所の花屋で初めて花を買った。
普段、美しいとも思わないカーネーションだ。
三種類のカーネーションとかすみ草が組み合わされたものがややいいかなと思い購入する。

母に渡すと、意外にも喜んでくれる。次の一言がよかった。
「カーネーションなんて買ってきてくれたの初めてだね。」
そんなことなかったと思うけど…、「あはは〜ん!」と笑った方が和むと思って戯けてみた。
母はすぐに花瓶に活けて、父の仏壇のすぐ脇に置いた。

たくさんの荷物を実家に預けっぱなしで、なかなかすぐには片づかない。
一筋縄ではいかない四半世紀の仕事の成果物の山。
母は、早く片づけろ〜と言ったり、なかなか片づけられないよねと言ったり…。

段ボールを一箱だけ整理して、今日で店を閉めるというカラオケスナックに行くと言うので送って行くことにした。

お腹が空いたなぁと思わず言うと、母がきつねうどんをこしらえてくれた。
懐かしい味がした。
母の作った料理が自分を作ったんだなぁ。

箸を…と開けた食器棚の引き出しの中がきちんと整理されていて、父もすでにいない一軒家で、数の多すぎるきれいなスプーンや箸を見てぐっと込み上げてくるものがあった。

「思う存分歌ってこいや」と言うと、「80過ぎるとそういう気も失せるんだよ」と言い、「老人になったら人に迷惑をかけない生き方をするように精神も肉体もしっかりするよう考えとかないといけないんだよ。」と人生論をぽつり。

あと何年こうして過ごせるのだろう。
自分は、母にこれまで満足の行く何かをひとつでもしてあげられたのだろうか。

充分なこともできず、ほんのちょっとしたふれあいだったが、いい母の日だったかもしれないな。





2013年5月6日[月] 水景



昨日行った、神奈川県立近代美術館の脇にある池だ。
間違っていなければ、ホックニーは福田平八郎の「漣」という作品にインスパイアされて水の表現に興味をもったとか?
モネも水の表面に起こる面白いこと描いています。睡蓮にはあまり意味がないと個人的には考えています。





2013年5月5日[日] 片岡球子

©tamako kataoka
©tamako kataoka
©tamako kataoka
©tamako kataoka
©tamako kataoka
©tamako kataoka



神奈川県立近代美術館の鎌倉館で、「片岡球子 創造の秘密—日本画家のスケッチブックから」を5月26日[日]まで開催している。

 → 片岡球子展サイト

小倉遊亀と並んで女流日本画家として有名な方だ。2008年に103歳で亡くなられている。
面構えシリーズがよく知られているが、ぼくはこの富士山のシリーズが好きだ。富士そのものというよりもその周囲に配されている樹木が好きだ。
UPした作品は今回展示はされていないが、小振りながらいい展覧会だった。

面構えシリーズが何点か展示されていた。このシリーズは、描かれている人物の肌の処理(描き方)が強すぎて、図版で観ている限りでは、下地や色彩の工夫がよく伝わってこないのだが、今日久しぶりに原画と対峙してみると、そのニュアンスの豊富さやそのデリケートさ、色使いの妙といったものが間近に感じられ興奮した。どれも60歳以降の作品でそのエネルギッシュなパワーには脱帽した。ちょうど自分の歳と同じ時期に描かれた作品があって、背中を押された思いがした。

同じチケットで別館も観ることができるということで、そちらへも移動した。
本当はまぁ観なくてもいいかなぁと思って来たのだが、いやぁ、行ってほ〜んとよかった!
昨日だか一昨日だったか、「原画を観たいんだよなぁ〜」と独り言を言っていたその作家の作品が6点ほど展示されていたのだ。その画家の名は、須田剋太だ。司馬遼太郎の「街道を行く」の挿画でよく知られることになった画家だ。この人の作品は、絵もさることながら、字がいい!
それともう一人、香月泰男の小品が一点かかっていた。これも秀逸!
先日コバヤシ画廊の個展を見逃した岡村桂三郎の屏風もあった。


美術館を後にして、小腹が空き、喉が乾いたので入った店がよかった。
珍しくビールが呑みたくなってピザの店に入ったのだがここが当りだった。
たまたまタイミングがよくてカウンター席に通されたが、予約をしないと入れない店だったのだ。店の名は、「ブルールーム」。小町通りのどこかにあります。探してみてください。


なんともラッキーな子どもの日だったなぁ。しあわせぇ〜。